千里の道も一歩からとは、どんなに大きな事業でも、まず手近なところから着実に努力を重ねていけば成功するという教え。
故事ことわざ辞典より
しかし、千里(由来となる『老子』の時代だと約500キロ?)もの距離を歩こうとするなんて正気の沙汰じゃない。
そんな無茶を承知で初めの一歩を踏み出せるような人間は、真の大物か単なるアホのどちらかだろう。
少なくとも僕は千里の道を前に、何かを積み重ねる気にはなれない。
ワンチャン何かのきっかけで決心したとしても、多分10キロぐらい歩いたところでもうアカンってなるわ。
僕は寄り道でもしながらそれっぽい方向に適当にブラブラ歩いてたら、いつの間にか千里の道を歩いていた。
そんなくらいの気持ちの方が気楽でいいと思っている。
その上途中で「別に千里も歩けなくてもいいじゃん」なんて妥協したりもする。
こんなヘタレな僕自身の目標設定は当然いつもなあなあ。
漠然とこんなもんかなーとか、周りに流されながら進んでいき、いざ重要な分岐点にさし当たったときには一応それなりの積み重ねがありました、っていうぐらい。
まあ、たかだか二十余年のショボイ人生のなかで、僕自身が努力してきたことなんて知れてるんだけどね。
後から振り返ってみると厳しい道のりだったとしても、歩いている途中は常に遠い遠い目標を目指しているわけではないと思う。
「千里の道」って初めの一歩を踏み出すときに考えるべき言葉ではないんじゃないかなあ。
あとは“歩く”のが好きかどうかも重要。
「千里の道」が「千本のアニメ」だったら、また話は変わってくるでしょう。
・・・なんて薄志弱行な人間の戯言でした。
高い目標を目指して真っ直ぐに進める人は本当に尊敬する。
故事ことわざ辞典より
しかし、千里(由来となる『老子』の時代だと約500キロ?)もの距離を歩こうとするなんて正気の沙汰じゃない。
そんな無茶を承知で初めの一歩を踏み出せるような人間は、真の大物か単なるアホのどちらかだろう。
少なくとも僕は千里の道を前に、何かを積み重ねる気にはなれない。
ワンチャン何かのきっかけで決心したとしても、多分10キロぐらい歩いたところでもうアカンってなるわ。
僕は寄り道でもしながらそれっぽい方向に適当にブラブラ歩いてたら、いつの間にか千里の道を歩いていた。
そんなくらいの気持ちの方が気楽でいいと思っている。
その上途中で「別に千里も歩けなくてもいいじゃん」なんて妥協したりもする。
こんなヘタレな僕自身の目標設定は当然いつもなあなあ。
漠然とこんなもんかなーとか、周りに流されながら進んでいき、いざ重要な分岐点にさし当たったときには一応それなりの積み重ねがありました、っていうぐらい。
まあ、たかだか二十余年のショボイ人生のなかで、僕自身が努力してきたことなんて知れてるんだけどね。
後から振り返ってみると厳しい道のりだったとしても、歩いている途中は常に遠い遠い目標を目指しているわけではないと思う。
「千里の道」って初めの一歩を踏み出すときに考えるべき言葉ではないんじゃないかなあ。
あとは“歩く”のが好きかどうかも重要。
「千里の道」が「千本のアニメ」だったら、また話は変わってくるでしょう。
・・・なんて薄志弱行な人間の戯言でした。
高い目標を目指して真っ直ぐに進める人は本当に尊敬する。
コメント
なので目標は自分の身の丈にあった段階的に立てていくと良いと思います
お題の「千里の道を歩く」という事でしたら、まずは
「一里の道を歩く」
と目標を立て、達成したら
「十里の道を歩く」
と目標を立て、達成したら次は五十里・・・
というように目標を大きなものにしていき最終的に「千里の道を歩く」となると達成できると思います
でも目標を達成するより大事な事は
・自分の本当にしたい事はなんなのか?
・なぜその目標を達成しなければならないのか?
という事を明確にする事です
趣味にしてもビジネスにしても目的意識を持って取り組む人とそうでない人では同じ事を経験しても得る物に大きな差があるからです
ですが、目標は必ずしも立てなければいけないものではないと考えます。
日記中の文章からは、ただ努力することから逃げ続けているようにも取れるかもしれませんが、そういうわけではないです。
>寄り道でもしながらそれっぽい方向に適当にブラブラ歩いてたら、いつの間にか千里の道を歩いていた。
目標も目的も持たなくても、その時その時で自分のやりたい事を進めていったら、後から振り返ったときに大きな積み重ねになっている、ということもあると思います。
僕にとってはこういう生き方が自分に合っているし、実際今までがそうだったと考えたりしたわけです。
それって実は目標を立てていて、単なる言葉のあやなんじゃないの?なんて言われたら何も反論できませんが・・・
勿論、絶対に目標を立てていないというわけでもないです。その辺は臨機応変。