要素還元主義
2021年3月3日 Magic: The Gathering最近、推敲はほどほどにスマホで空き時間に書き足していくことが多いから、多分無駄に長いだけの適当な内容。
物事を要素に分解して、それぞれの要素ごとの特性から全体を考察する手法、すなわち要素還元主義の考え方は、提示されている要素と相互作用が真にすべての情報であるなら真実を導くことが出来る。しかし実際には世の中のどんな領域でも、「考えの及ばないこと」が沢山あって、要素から全体を導くことは限定的。
相互作用については、理論の組み合わせが有限ならば一見して結論を見いだせそうに思えるが、天文学的な組合せを考慮することは現実的ではないし、前提条件として「未知の要素」が存在しないことが必須になるので、これまた現実的ではない。
自然科学においては、既存の理論から仮説は導けても真実を導けているかは分からないので、この未知の要素や相互作用を見つける、もしくは未知のまま結論を出すために実験や研究という手法をとる。過程に対する解釈は所詮は後付けの理由でしかない。仮説と検証方法と結論こそが大事で、要素の特性はそこまで重視されない。
抽象的な話ではわかりにくいので具体例を挙げる。
・ある食べ物に発がん性のある物質が含まれていることが判明した。そのため、この食べ物は採らない方がよい。
この命題を盲目的に信じる人は要素還元主義の罠にハマる人。
食べ物でも飲み物でも何でもよいが、普通は構成要素として無数の物質が存在する。その中には発がん性のような悪い効果を持つものもあれば、逆に癌になりにくくなるよい効果を持つものもあれば、判明していない未知の物質もある。そして、物質単独が単独で存在する場合と組合せで役割が変わるものもあるかもしれない。例えば、
発がん性のある物質1
発がん性のある物質2
この二つを混ぜたら、発がん性が無くなる!みたいに。
つまり、個別の要素から全体を見通すことには限界がある。「飲食物」という全体の作用を考えるに、それを構成している一つからは語れない。
だから、こうする。
飲食物Aに発がん性があるかどうかを検証するために、
・飲食物Aを沢山とる人
・飲食物Aを全然取らない人
この二種類に属する人を集めて、数年後にその人たちの間で癌になった人がどれくらいの割合になったのか比較する。
ほうほう。
これなら未知の要素、相互作用なんかは全部すっ飛ばして、単純明快に知りたいこと(飲食物Aに発がん性があるかどうか)と結論を紐付けることが出来る。理にかなっている。
…と思った人は、やはり罠に陥る人。
ここには重大な前提条件が抜けている。
ある食べ物を摂取しない人は、別の食べ物を摂取している。
当たり前だけど大事なこと。
すなわち、検証したい飲食物Aを摂取しない人の中に、発がん性がとても高い別の何らかの物質を取る人の割合が多ければ、この検証自体に意味が無くなる。
また、逆のパターンもある。
ある飲食物Aを沢山とる人は、別の食べ物もセットでよく食べるとしたら?
この場合、飲食物Aに発がん性がなくても、一緒によく食べる発がん性が高い物質があれば、検証の結論に影響してしまう。
と、まあ、検証方法一つとっても前提条件が大事だったり、実は抜け落ちている考えがあるかもしれなかったりで、真実と言い切ることは難しい。
こういった話を続けるとキリが無いのでいったん区切るが、思考の過程でとても大事なこととして僕が思うのは
・要素に拘りすぎないこと
・隙が無い理論に思えても、自分の理解の及んでない何かが存在して欠陥があるかもしれないこと
この二つは常に意識している。
いわゆる、「全体的に」語ることになるのだが、この「全体的な」思考というのは、要素から次々と導いていく考え方と違って明確ではなくて、もやもやしたものになって、とても理解しにくい。それに何よりも、個別の要素に論点をずらすことで素人を騙しやすい。
①コーヒーには発がん性のある物質Aが含まれている→だから危険
②コーヒーは幾つかの疫学研究で発がん性とは関係ないと言われている(引用文献うんぬん)
今の僕は圧倒的に②を信じるわけだけど、あまり考えが及ばない人にとっては①はとても説得力があるものにみえてしまう。①はひょっとしたら真実かもしれないけど、冷静に考えると風が吹けば桶屋が儲かるとかわらない突拍子もない理論だが、発がん性とか、物質Aとか専門ぶった言葉を織り交ぜることで素人を騙しやすくしているだけ。
しかし、個別の要素から考えることも必ずしも悪いわけではない。上では要素から全体を見通すことは難しいと述べたものの、その考え方自体も何らかの偏見にとらわれているかもしれないし、要素から考えることで新たな仮説や知見が得られるかもしれない。
経験的に「全体的な話」というのは通じないことが結構ある。これは学歴とかに関係ない。通じない人には通じない。要素還元主義に偏った人は、ひたすら個別の理論に話を持って行くので、議論をしても平行線。まともに取り合っても時間の無駄なので、最近は適当にあしらうようにしているが、まとめる立場の人は大変だなあと思う(他人事)。
時計は、部品を分解して一つ一つ考察すれば仕組みが分かるだろうが、“世の中はそんなに単純ではない”。
さて、本題(という名の蛇足)。
EDHの話。
EDHも所詮は有限のカードのやりとりなので、要素に分解して考察することも出来無くないと思うが、それで全体像は見えない。対戦相手との相互作用はもっとみえない。だから、EDHを個別の要素に分解して理解するのは無理がある。すなわち、カード一枚ずつの解釈に拘っても、全体像は見えない。木を見て森が見えないことは、むしろEDHだからこそ理解しやすい事象かと思いきや、意外とそうでもない。
例えばスタンダードで赤単アグロのリストを見たときに、動かし方や大体のゲームプランは、ある程度の経験値があれば初見でもなんとなく分かる。勿論メタゲームに合わせたチョイスのような細かいチューンは分からないが、その他の大雑把なことは理解しやすい。気合いが入っているリストだと、全部4枚ずつだし。
しかし、経験のあるプレイヤーでも初見でANTを渡されると、普通は扱えない。「渦巻く知識は相手のハンデスに対応して使います」と個別に解説されても、本筋のゲームプランは分からない。
ここで必要なのは、
・最後にどうやって勝つのか
・そのためには何が必要か(例えば土地が何枚くらいとか、マナ加速などのくみあわせがどうとか)
こういった最低限のゲームプランは欲しい。その上で、仮想敵との具体的な戦略を並べると、解説記事としては満足するものとなる。ANT 75枚解説!は、多分どこにも需要はない。
EDHのデッキは、構造の複雑さからは赤単アグロよりもANTに近い。リストを見ても、動き方の見当がつかないばかりである。
デッキに限らず、解説というのはまとまった文章で欲しい。tweetでは全体像は見えないし、打ち込んでいるプレイヤーが自分のレベルだけで語っても伝わらない。特に初心者向け解説記事というのは相当に骨が折れる。そのうち、やりたいとは思っているが。
というわけで、自分はブログという旧時代のコンテンツに拘り、使いやすくて愛着もあるのでDNを使い続けているが、ついに新規登録を打ち切られる。
衝撃。
このままサービスも終わってしまうのだろうか。
物事を要素に分解して、それぞれの要素ごとの特性から全体を考察する手法、すなわち要素還元主義の考え方は、提示されている要素と相互作用が真にすべての情報であるなら真実を導くことが出来る。しかし実際には世の中のどんな領域でも、「考えの及ばないこと」が沢山あって、要素から全体を導くことは限定的。
相互作用については、理論の組み合わせが有限ならば一見して結論を見いだせそうに思えるが、天文学的な組合せを考慮することは現実的ではないし、前提条件として「未知の要素」が存在しないことが必須になるので、これまた現実的ではない。
自然科学においては、既存の理論から仮説は導けても真実を導けているかは分からないので、この未知の要素や相互作用を見つける、もしくは未知のまま結論を出すために実験や研究という手法をとる。過程に対する解釈は所詮は後付けの理由でしかない。仮説と検証方法と結論こそが大事で、要素の特性はそこまで重視されない。
抽象的な話ではわかりにくいので具体例を挙げる。
・ある食べ物に発がん性のある物質が含まれていることが判明した。そのため、この食べ物は採らない方がよい。
この命題を盲目的に信じる人は要素還元主義の罠にハマる人。
食べ物でも飲み物でも何でもよいが、普通は構成要素として無数の物質が存在する。その中には発がん性のような悪い効果を持つものもあれば、逆に癌になりにくくなるよい効果を持つものもあれば、判明していない未知の物質もある。そして、物質単独が単独で存在する場合と組合せで役割が変わるものもあるかもしれない。例えば、
発がん性のある物質1
発がん性のある物質2
この二つを混ぜたら、発がん性が無くなる!みたいに。
つまり、個別の要素から全体を見通すことには限界がある。「飲食物」という全体の作用を考えるに、それを構成している一つからは語れない。
だから、こうする。
飲食物Aに発がん性があるかどうかを検証するために、
・飲食物Aを沢山とる人
・飲食物Aを全然取らない人
この二種類に属する人を集めて、数年後にその人たちの間で癌になった人がどれくらいの割合になったのか比較する。
ほうほう。
これなら未知の要素、相互作用なんかは全部すっ飛ばして、単純明快に知りたいこと(飲食物Aに発がん性があるかどうか)と結論を紐付けることが出来る。理にかなっている。
…と思った人は、やはり罠に陥る人。
ここには重大な前提条件が抜けている。
ある食べ物を摂取しない人は、別の食べ物を摂取している。
当たり前だけど大事なこと。
すなわち、検証したい飲食物Aを摂取しない人の中に、発がん性がとても高い別の何らかの物質を取る人の割合が多ければ、この検証自体に意味が無くなる。
また、逆のパターンもある。
ある飲食物Aを沢山とる人は、別の食べ物もセットでよく食べるとしたら?
この場合、飲食物Aに発がん性がなくても、一緒によく食べる発がん性が高い物質があれば、検証の結論に影響してしまう。
と、まあ、検証方法一つとっても前提条件が大事だったり、実は抜け落ちている考えがあるかもしれなかったりで、真実と言い切ることは難しい。
こういった話を続けるとキリが無いのでいったん区切るが、思考の過程でとても大事なこととして僕が思うのは
・要素に拘りすぎないこと
・隙が無い理論に思えても、自分の理解の及んでない何かが存在して欠陥があるかもしれないこと
この二つは常に意識している。
いわゆる、「全体的に」語ることになるのだが、この「全体的な」思考というのは、要素から次々と導いていく考え方と違って明確ではなくて、もやもやしたものになって、とても理解しにくい。それに何よりも、個別の要素に論点をずらすことで素人を騙しやすい。
①コーヒーには発がん性のある物質Aが含まれている→だから危険
②コーヒーは幾つかの疫学研究で発がん性とは関係ないと言われている(引用文献うんぬん)
今の僕は圧倒的に②を信じるわけだけど、あまり考えが及ばない人にとっては①はとても説得力があるものにみえてしまう。①はひょっとしたら真実かもしれないけど、冷静に考えると風が吹けば桶屋が儲かるとかわらない突拍子もない理論だが、発がん性とか、物質Aとか専門ぶった言葉を織り交ぜることで素人を騙しやすくしているだけ。
しかし、個別の要素から考えることも必ずしも悪いわけではない。上では要素から全体を見通すことは難しいと述べたものの、その考え方自体も何らかの偏見にとらわれているかもしれないし、要素から考えることで新たな仮説や知見が得られるかもしれない。
経験的に「全体的な話」というのは通じないことが結構ある。これは学歴とかに関係ない。通じない人には通じない。要素還元主義に偏った人は、ひたすら個別の理論に話を持って行くので、議論をしても平行線。まともに取り合っても時間の無駄なので、最近は適当にあしらうようにしているが、まとめる立場の人は大変だなあと思う(他人事)。
時計は、部品を分解して一つ一つ考察すれば仕組みが分かるだろうが、“世の中はそんなに単純ではない”。
さて、本題(という名の蛇足)。
EDHの話。
EDHも所詮は有限のカードのやりとりなので、要素に分解して考察することも出来無くないと思うが、それで全体像は見えない。対戦相手との相互作用はもっとみえない。だから、EDHを個別の要素に分解して理解するのは無理がある。すなわち、カード一枚ずつの解釈に拘っても、全体像は見えない。木を見て森が見えないことは、むしろEDHだからこそ理解しやすい事象かと思いきや、意外とそうでもない。
例えばスタンダードで赤単アグロのリストを見たときに、動かし方や大体のゲームプランは、ある程度の経験値があれば初見でもなんとなく分かる。勿論メタゲームに合わせたチョイスのような細かいチューンは分からないが、その他の大雑把なことは理解しやすい。気合いが入っているリストだと、全部4枚ずつだし。
しかし、経験のあるプレイヤーでも初見でANTを渡されると、普通は扱えない。「渦巻く知識は相手のハンデスに対応して使います」と個別に解説されても、本筋のゲームプランは分からない。
ここで必要なのは、
・最後にどうやって勝つのか
・そのためには何が必要か(例えば土地が何枚くらいとか、マナ加速などのくみあわせがどうとか)
こういった最低限のゲームプランは欲しい。その上で、仮想敵との具体的な戦略を並べると、解説記事としては満足するものとなる。ANT 75枚解説!は、多分どこにも需要はない。
EDHのデッキは、構造の複雑さからは赤単アグロよりもANTに近い。リストを見ても、動き方の見当がつかないばかりである。
デッキに限らず、解説というのはまとまった文章で欲しい。tweetでは全体像は見えないし、打ち込んでいるプレイヤーが自分のレベルだけで語っても伝わらない。特に初心者向け解説記事というのは相当に骨が折れる。そのうち、やりたいとは思っているが。
というわけで、自分はブログという旧時代のコンテンツに拘り、使いやすくて愛着もあるのでDNを使い続けているが、ついに新規登録を打ち切られる。
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このままサービスも終わってしまうのだろうか。
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