【EDH】ガチ即死コンボを使うとすぐ飽きるのか?
2012年5月23日 TCG全般そんなことはないと思う。
既にEDHはじめて何年かたってるけど、潮吹きの暴君とか、ずっと使い続けている。
人は変化を求める生き物
・・・と突然意味不明なことを言ってみたが、まあ、よく言われることだし、あながち間違ってもいないと思う。
何も変わらない、単調な作業を続ければ、誰だって飽きる。
刺身の上にタンポポを乗せる仕事を、生涯続けるなんて、考えただけでも発狂しそうだ。
EDHにおいても同じ。
変化がなければ飽きる。
たとえば、デッキを変えると言うのはマンネリから抜け出すひとつの方法。
でも、変化ってそれだけではないと思う。
進歩するという形での変化だってあるはず。
すなわち、デッキをより洗練させていくということ。
EDHってのは奥深いもので、カードプールの広さとハイランダーと言う性質から、細かなデッキの動きを調整していくと本当にキリがない。
突き詰める要素が沢山ありすぎて、手が回らない一方で、いつまでも楽しめると言う利点がある。
僕の中では最終的な勝ち手段が潮吹きの暴君だというのはあまり変わらないことだけど、そこに至るプロセスや組み合わせるカードの微妙な違いを調整していくことが面白いと思う。
勿論、自分ひとりだけでは気づかないことも多く、他の人の考察を読んで新たな発見をするのも面白いよね。
カード1枚1枚について、しっかりと考察してデッキをくみ上げていくため、構築好きにとってはたまらないフォーマットではないかと。
具体的なカードを挙げてみると・・・
例えば、思案。
青1マナのメジャードローには、渦巻く知識、定業、思案があるわけだけど、これらには格差がある。
数値化するなら
渦巻く知識 100
定業 50
思案 30
くらいの感じ。
とまあ、数値を見てみれば分かるとおり、思案が弱い。
使っている人の中では、何となく感じるものがあると思うけれど、この3枚はセットで使うみたいなステレオタイプがあるせいで、結局弱いと思いつつも思案を使う。
でも、誰かにその弱さを指摘されると・・・
自分の中でもやもやしていたものが解決し、思案の採用不採用について改めて検討するようになる。
こんな基本的なカードでも、考える余地はあったんだと、最近感心したもの。
他にも、木霊の手の内と耕作、自然の知識、三顧の礼といった土地ブーストは何となくセットで入れたくなるけど、本当にまとめて入れるべきかどうかは再検討の余地があり、最近の自分の中でのホットなテーマ。
1枚1枚の細かい視点だけでなく、もっと大きな観点からでも考えるテーマはある。
例えば、ビートダウン。
コンボの発見、開発に関してはもうある程度出尽くした感があり、デッキに搭載するコンボの数や奇抜さよりも、無駄のなさや決まりやすさが重視されるようになっている。
その上、隙の少なさやコンボとは別の対応を迫られることを利点に、ビートダウンも台頭してきている。
僕自身、ビートデッキをちょこちょこ使ったりしつつも、やっぱりコンボの方が強いと、ある意味で思考停止していた部分もある。
だけど、最近はそうではないような気もしてきている。
もはやビート(笑)ではないし、ガチ=コンボでもない。
勿論、一言に「コンボ」とか「ビート」といっても、その中身も千差万別で、デッキもより細分化されているため、コンボだってまだまだ考察すべきことは多い。
とまあ、色々語ってみたわけだけど。結局
「同じコンボばかり使っていて飽きないの?」
という質問に対してはどう答えるのか。
僕なら、
「コンボが決まる瞬間、コンボに使われる数枚だけを見て考えているわけではないから、全然飽きないよ」
と答えます。
逆に、構築なんか二の次で、プレイのみを楽しむ人にとってはガチEDHは飽きやすいフォーマットかもしれない。
情報が少なく、コピー元になるレシピもあまりないし、ガチレベルを維持しつつ様々なカードを使用することには限界がある。
結局、パワーを落として、使えるカードの幅を広げるしかない。
一応僕はガチなつもりでやらせてもらっていますが、わずかな違いを調整しているから、そこに注目していない人にとっては何の変化もないも同義だし。(だから、あんまりデッキレシピの更新は意味がないと思ってあげてないんだよね。その変化を書いた考察の方が重要と思って。面倒なのもあるけど)
既にEDHはじめて何年かたってるけど、潮吹きの暴君とか、ずっと使い続けている。
人は変化を求める生き物
・・・と突然意味不明なことを言ってみたが、まあ、よく言われることだし、あながち間違ってもいないと思う。
何も変わらない、単調な作業を続ければ、誰だって飽きる。
刺身の上にタンポポを乗せる仕事を、生涯続けるなんて、考えただけでも発狂しそうだ。
EDHにおいても同じ。
変化がなければ飽きる。
たとえば、デッキを変えると言うのはマンネリから抜け出すひとつの方法。
でも、変化ってそれだけではないと思う。
進歩するという形での変化だってあるはず。
すなわち、デッキをより洗練させていくということ。
EDHってのは奥深いもので、カードプールの広さとハイランダーと言う性質から、細かなデッキの動きを調整していくと本当にキリがない。
突き詰める要素が沢山ありすぎて、手が回らない一方で、いつまでも楽しめると言う利点がある。
僕の中では最終的な勝ち手段が潮吹きの暴君だというのはあまり変わらないことだけど、そこに至るプロセスや組み合わせるカードの微妙な違いを調整していくことが面白いと思う。
勿論、自分ひとりだけでは気づかないことも多く、他の人の考察を読んで新たな発見をするのも面白いよね。
カード1枚1枚について、しっかりと考察してデッキをくみ上げていくため、構築好きにとってはたまらないフォーマットではないかと。
具体的なカードを挙げてみると・・・
例えば、思案。
青1マナのメジャードローには、渦巻く知識、定業、思案があるわけだけど、これらには格差がある。
数値化するなら
渦巻く知識 100
定業 50
思案 30
くらいの感じ。
とまあ、数値を見てみれば分かるとおり、思案が弱い。
使っている人の中では、何となく感じるものがあると思うけれど、この3枚はセットで使うみたいなステレオタイプがあるせいで、結局弱いと思いつつも思案を使う。
でも、誰かにその弱さを指摘されると・・・
自分の中でもやもやしていたものが解決し、思案の採用不採用について改めて検討するようになる。
こんな基本的なカードでも、考える余地はあったんだと、最近感心したもの。
他にも、木霊の手の内と耕作、自然の知識、三顧の礼といった土地ブーストは何となくセットで入れたくなるけど、本当にまとめて入れるべきかどうかは再検討の余地があり、最近の自分の中でのホットなテーマ。
1枚1枚の細かい視点だけでなく、もっと大きな観点からでも考えるテーマはある。
例えば、ビートダウン。
コンボの発見、開発に関してはもうある程度出尽くした感があり、デッキに搭載するコンボの数や奇抜さよりも、無駄のなさや決まりやすさが重視されるようになっている。
その上、隙の少なさやコンボとは別の対応を迫られることを利点に、ビートダウンも台頭してきている。
僕自身、ビートデッキをちょこちょこ使ったりしつつも、やっぱりコンボの方が強いと、ある意味で思考停止していた部分もある。
だけど、最近はそうではないような気もしてきている。
もはやビート(笑)ではないし、ガチ=コンボでもない。
勿論、一言に「コンボ」とか「ビート」といっても、その中身も千差万別で、デッキもより細分化されているため、コンボだってまだまだ考察すべきことは多い。
とまあ、色々語ってみたわけだけど。結局
「同じコンボばかり使っていて飽きないの?」
という質問に対してはどう答えるのか。
僕なら、
「コンボが決まる瞬間、コンボに使われる数枚だけを見て考えているわけではないから、全然飽きないよ」
と答えます。
逆に、構築なんか二の次で、プレイのみを楽しむ人にとってはガチEDHは飽きやすいフォーマットかもしれない。
情報が少なく、コピー元になるレシピもあまりないし、ガチレベルを維持しつつ様々なカードを使用することには限界がある。
結局、パワーを落として、使えるカードの幅を広げるしかない。
一応僕はガチなつもりでやらせてもらっていますが、わずかな違いを調整しているから、そこに注目していない人にとっては何の変化もないも同義だし。(だから、あんまりデッキレシピの更新は意味がないと思ってあげてないんだよね。その変化を書いた考察の方が重要と思って。面倒なのもあるけど)
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